復 興 節〜人々の笑みを奪還せよ


 大正時代。そう、4年前に第一次世界大戦が終了し、それに伴う軍需景気の
風も凪ぎ、じょじょに景気に陰が見えていた時。

 それは起きた。台風の影響で風の強い日だった。

 大正12年 9月 1日 午前11時58分40秒

 一瞬にして、東京のとある場所にある地震計が振り切れた―――――


 後に人々が「関東大震災」と呼ばれるそれ、だった。


 昼前ということで家々で使われていた火は炎となり、それがさらに旋風を呼んだ。

 阿鼻叫喚。そう呼んでいいだろう。

 炎は2日間、東京やその近辺をなめ尽くし、瓦礫と死骸を撒き散らし、終焉した。


 その少し後、二人の青年が東京の、とある横丁に立っていた。

「本当にやるの?蛮ちゃん?」
 不安そうに相方を見やる彼の頭はかっちりと布で巻きつけている。布の下の髪の毛の色を知っているのは、相方と、彼を知る一部の人間だけであった。格好は煤ですっかり黒くなった書生姿。
「うっせぇ、銀次。」
 同じ書生姿のもう一人が答える。濃い色眼鏡をつけているのは、彼の瞳の色を隠すため。
「やると決めたらやる。それが俺らだろ?」
「でも蛮ちゃん…。」
「うっせぇ。」

 蛮は右手に掴んでいた、やはり煤まみれの布袋を開ける。中から出てくるのは…ヴァイオリン。

 彼らは俗に言う「演歌師」と呼ばれる者たちだった。街角で一人は流行りの歌をヴァイオリンで演奏しながら歌い、もう一人はその歌詞の書いてある唄本を売る。そして彼らもまた、震災で家はおろか、今手に持っているもの以外全てを失った。銀次は紙と携帯筆一式。蛮はヴァイオリンと、常に携帯しているかます(きせると刻みタバコが入れられる袋みたいなもの)とまだ少し珍しい紙巻きタバコが精一杯だった。

 何日か前、徒歩でまだプスプスとどこかで言っている東京駅近辺を二人は歩いた。

 銀次は地面に這いつくばって泣いた。俺らがつくった歌の中身、全部消えちゃった。と。
 俺らが作った歌――――彼が有名となるきっかけとなった「東京節」は、他の演歌師にも伝わり、瞬く間にどこでも歌われるものとなった。

 東京の中枢は丸の内 日比谷公園 両議院……

 蛮がアメリカの曲を少し早くして、その歌詞につけたそれを口ずさむ。

「こんな世の中だから、デタラメでもいいよね。」と、適当につけて笑いあった歌。

 ラメチャンタラギッチョンチョンデ パイノパイノパイ パリコトコパナナデ フライフライフライ

「この風景もデタラメで、元のままだったら良かったのに……。」
 ひとしきり泣いて、泣いて、銀次は呟いた。
「もうもとの風景は戻らねぇ。」
 蛮が言った。
「だからお前、作れ。」
「はぇ?」
 いきなりの言葉に素っ頓狂な声をあげる。
「この街には、今悲しみしかねぇ。泣くことすらできねぇヤツも大勢いる。」
 這いつくばっていた銀次がそろそろと起き上がり、蛮の顔を見上げる。
「この地震なんてクソ食らえ。俺らは奪還してやるんだ。」
「何を?蛮ちゃん。」
 目が合う。日本人には殆どない蜂蜜色の瞳と、日本人にはありえない紫の瞳

「笑顔と、活力をだ。」

 言って、蛮は笑った。右手を差し出してくる。

「………うん!」

 銀次も笑顔になりながら、左手を出す。しっかりと握り、立ち上がる。

「そうとなったら、ネタ探しだな。」
 どこもかしこも瓦礫の山で、遠くまで見える風景をぐるりと見渡しながら蛮が言った。
「どこ行こう…?」
「色々行けばいいさ。どーせ俺らは…。」
「『貧乏小唄』でしょ?」
 銀次が笑いながら言う。少し昔に発表された「船頭小唄」に銀次の父がわりの天子峰が歌詞を替え、世間に発表した。

 俺はいつでも 金がない
 同じお前も 金がない
 どうせ二人は この世では
 金の持てない 貧乏人

 それを二人で歌いあって、笑った。


 数日かけて、徒歩で色々なところをまわった。ところどころで演歌を披露し、路銀を稼いで生活した。道路は壊滅的で、徒歩くらいしか方法がなかったからだ。そしてそれからの数日はとりあえず瓦礫で作ったバラックの中で水とわずかな食料で食いつなぎながら銀次は詞を作った。
 その間に、生き残った友人たちが訪ねてきた。銀次が詞を作っていると聞くと、皆喜んで「楽しみにしている。頼む。」と言って、わずかな食料と、そして書き写すための紙を提供してくれた。

「大体できたよ。蛮ちゃん。」
 ふぅ、と息をついて、銀次が笑った。少し顔色が悪い。
「おぅ。なんて曲名だ?」
「やっぱり…これしか考えつかなかった。」
 どれどれと覗き込んでくる蛮に、銀次は殆ど墨で真っ黒の紙の一角を指差す。
「復興節…いいんじゃねーか?」
 んじゃあ、俺は曲を考えるか。と蛮は言った。
「ねぇ、蛮ちゃん。」
「なんだ?」
「できることならさ…日本の曲はつけるのやめようよ。」
 思い出にひたっちゃうよ。と銀次はつけたした。
「…分かった。アメリカの曲は「東京節」で使っちまったからなぁ…。よし、中国にするか。」
「中国?」
 蛮はそこでそこでうーん、と考え、「こーゆーのはどうだ?」と銀次の歌詞と付き合わせながらぼそぼそと口に出す。聞いたことのない曲の節々に、銀次はドキドキした。
「よし。出来た。」
 ややあって、蛮がぱさりと銀次の書いた歌詞の紙を下に置いた。
「沙窓という歌を転用した。中国の俗曲だ。」
「へー、やっぱし蛮ちゃん、頭がいいや。」
「当たり前だ。」
 だーい好きvと抱きつかれるのは5秒後のこと…。



 そして、最初の所へと戻る。

「蛮ちゃん。」
 印刷所はなく、仕方がないので二人で必死で書いた唄本を持ちながら、銀次は立ち上がった。
 調弦をしていた蛮は少し驚く。髪の毛を隠すため、銀次はいつもぐるぐるに巻きつけた布の上にさらに瞳の色が分からないよう帽子をかぶり、そしてしゃがんで唄本を売っていたのだ。色眼鏡をかけるか?と言ったが、銀次は首を振った。蛮ちゃんの瞳は色眼鏡で暗く見えるけど、俺の瞳じゃ余計に目立つし、お金もないから。と答えながら。そんな銀次が立ち上がった。
「俺も歌う。」
 銀次はこの歌をつくるにあたり、不安を感じていた。

 もし、この歌をうたったら…反感を買ったら……

 袋叩きにあって、死んでしまうのではないか。

 ピリピリとした緊張感。余震は今は殆ど無いが、つい先週まであった。それが人々の心をさらにささくれ立たせている。この間も井戸に毒を入れた、と朝鮮の人が殺されたと聞いた。他の国の人が使いづらい「がぎぐげご」を言わせたりして、言えなかったら殺されるらしい。自分たちは東京育ちで訛りはないが、蛮ちゃんは色眼鏡、自分は布をとられたら…。

 怖くて眠れなかった。頭の使いすぎでぐるぐるしているのに、怖くてこわくて。脅えておびえて…

(どーした?銀次?)
 その時助けてくれたのは、やっぱり蛮ちゃんだった。歌詞を作るくらいしか能がない自分から、彼は簡単に眠れない理由を聞き出し…自分を抱きこんで、一緒に眠ってくれた。最初はビクビクしてたけど…ふっと意識がなくなって、気づいたら太陽がもうかなり高く昇っていた。
(イイ夢、見れたか?)
 かますに入っている少なくなってきた刻みを手馴れた手つきで丸め、キセルに入れ、口に入れてから線香で火をともす。少し吸い、ぷはぁと吐く。
(両切り(紙巻きタバコ)は?)
(残り3本。歌が出来上がった時に1本、歌いあがって、唄本が売り切れた時に1本。そして最後の1本は…)
 慌てて蛮はきせるに口をつける。あまり時間が経つと火が消えてしまうのだ。次、刻みや両切りがいつ手にはいるか分からないので、いつもみたいに殆ど一口ふたくちで吸うのではなく、ぽつぽつと吸っている。ふぅ、と吐く煙はいつもより少し薄い。
(最後の1本は…この歌で笑顔が奪還できた時だ。)


 あの時笑った蛮の顔が思い出せる。思い出せるから、自分が作ったものだから。
「歌うのか?!」
 思わず調弦の手を止め、蛮が身体ごと銀次のほうを向く。
「うん。俺たちは二人で奪還するんだから。」
 蛮の目を射抜く蜂蜜色の瞳は…至高の色。抱くと潤む瞳は…全てのものを屈服させる雷の色。
 蛮は手早く調弦を終わらせ、いつもの笑いを浮かべながら口を開く。
「了解。じゃ、とりあえず上手く歌えるように。」

 唇が軽く合わさる。一度、にど、さんど…激しくなっていく。

 どちらからともなく離された唇からは離れまいと思うかのように唾液が糸のようにひいて…切れた。
「始めるぜ!銀次。」
「うん!蛮ちゃん!」

 弦をかまえる。前奏が入って、二人で息を吸う。

 「家(うち)は焼けても 江戸っ子の
 意気は消えない見ておくれ」


 視線が合う。笑う。始まってしまったものは取り返せない。

 「アラマ オヤマ
 忽ち並んだ バラックに
 夜は寝ながらお月さま眺めて
 エーゾエーゾ
 帝都復興 エーゾエーゾ」


 人がでてきた。ドキドキする。

 「騒ぎの最中に生まれた子供
  つけた名前が震太郎
  アラマ オヤマ
  震次に震作 震子に復子
  この子が大人になりゃ地震も話のタネ
  エーゾエーゾ
  帝都復興 エーゾエーゾ」


 
焼けたと言っても瓦礫でかなり影ができている。でも人が、人が、どこから
でてきたのか、人がでてくる。

 
「田舎の父さんが火事見舞い
  やってきて上野の山でビックリギョウテンし

  
アラマ オヤマ
  すっかり焼けたときいてきたに
  焼けたか焼けないのかどちらを向いても屋根ばかり
  帝都復興 エーゾエーゾ」


 人が自分たちをぐるっと囲んでいる。いつもの倍?それ以上?
 思っている間に、蛮が最後のフレーズを弾いて、終わる。

 見回す。どういう表情なのか、分からない。

「…………れ!」

 え?

「もう一度やってくれ!」
「もう一回!」

 熱をはらんだ声、声、こえ…。

「ば、蛮ちゃん……。」
「サーヴィスしてやろーぜ。」
 ニッと笑うと蛮はもう一度ヴァイオリンに弦を置く。

 歌った。

 歌った。

 こんなに同じ曲を歌ったのは初めてかもしれない。

 気づいたら唄本はきれいさっぱりなくなり、いつしか囲んでいた人たちも一
緒に「エーゾ エーゾ」と口ずさんでいる。

「今日は仕舞いにするぜ!」
「ありがとうございました〜。」

 最後に言った言葉に返された言葉。

 ありがとう。
 うれしい。
 元気が沸いてきたよ。
 ありがとう。
 ありがとう。
 ありがとう。

 去っていく者たちを見送り、銀次は涙が出そうになっていた。ぽん、と肩を叩かれ、そちらを向く。
 蛮が、両切りを吸いながら笑っていた。

「蛮ちゃん!」
 思いっきり飛び込んだ。涙がでてきた。嬉しくて。
 蛮はただ銀次の頭をぽんぽんと叩くように撫でる。
「良かったな。」
「…うん。…うん!」
 大正時代の最後を飾る歌の一つが、出現した時だった。


 明日から紙の手配をどうするか、と帰り道、二人で困りはてながら歩いていたら、走ってくる音が聞こえてくる。
「銀次さん!」
「…カヅッちゃん?十兵衛も!」
 荒く息をついて同じ演歌師仲間の花月と十兵衛は向かい合った。
「聞きました。…本当に良い歌を作ってくださいました。」
「ありがとう。あ、もし良ければ…。」
「もし、じゃあありません。すぐにでも欲しいくらいです。」
「士度に連絡しておいた。震災を免れた印刷所を確保したとさっき連絡が入った。」
 十兵衛の言葉に二人は目を丸くする。銀次の親友であり、また似たような業種―――様々な動物に芸をさせる士度は、何の縁あってか、財閥の娘のもとにいるらしい。花月や十兵衛、そして他の演歌師が手を回しておいたのだ。「あの」銀次と蛮が作った歌が流行しないはずがない、と。
「ありがとう。」
「…うス。」
 いつもは喧嘩ばかりしている蛮も、このときばかりは小さく礼を言った。

 銀次が作った唄本は、すぐに印刷所へ持ち込まれ、刷り上げられた。そしてその唄本はすぐに他の演歌師たちの手に渡る。蛮がつけた曲とともに。
 そして彼らは四方に散って、その歌を伝えていく。水面に落ちた水滴が、広がるように。

 唄本は、刷っても刷っても間に合わないくらいの勢いをみせた。どれだけの人がその歌に心を奪われたか。

「やったな、銀次。」
「うん。蛮ちゃん。」
 粗末な長屋に二人で暮らすようになった。前と同じような、粗末な家。9月に発生した時はまだ暑かったのに。もう冬も半ばを迎えていた。
 そんな中、蛮は用意してあった最後の1本を手にとろうとして…銀次に止められた。
「まだまだ、笑顔は奪還できてないよ?」
「いんや。できたね。」
「本当?」
「おぅ。ほら、ここに。」
 言って、銀次の頬に口付けを落とす。言われて赤くなる銀次。その間に蛮は最後の1本に火をともす。
「奪還、完了ってな。」

 二人で笑いあった。両切りを吸っている間に、小さな音をたてて、口付けあう。片方の手で、銀次の髪の毛を覆っていた布をむしりとる。途端に広がる金色の髪。
 小さな灰皿で両切りを消すと、蛮はゆっくりと銀次の体を押し倒した。
「蛮ちゃん…。」
 金色の中で瞬きする瞳は…すでに雷の色を宿している。
「銀次。」
 色眼鏡を外した蛮は、ゆっくりとその身体に愛撫をほどこす。

 地震の時の炎の熱も
 人々の脅えた顔も
 そして 歌を聴いた時のあの人たちの目も

 全てこの熱の前では溶けてしまう。

「ずっと…一緒だ…よ。」
 銀次が右手を差し出した。全てのものを撃ち従える雷の瞳で。
「おぅ。」
 蛮がその手をとる。そしてその手に口付ける。
「ずっと、な。」

 この手がある限り。歌がある限り。
 必要だから。必要とされるから。

「蛮ちゃん…大好き。」
 この一声が好きだから。

 歌詞と曲が混ざって、歌になるように。
 ひとつに、なる。

はーい。お疲れ様でした。
大正パラレルといってもとんでもねー年のパラレルを書いてしまいました。
一度書きたかったんだ♪


作者注:この中に出てくる「唄」は全て実在します。
 ・ですが、作詞した人は無論違います(当たり前だ)。
 ・詳しく言うと「天子峰」が「添田唖蝉坊」、銀次がその息子の「添田さつき 」になります。んでもって、この時代に作曲する日本人はほぼいませんでしたので、大抵が何かの曲を作詞した人が大抵いじくりたおして作ってます。ビバ☆アウト・オブ著作権←何考えてる自分。よって、蛮の作曲/編曲についたという存在は本当はありません(笑)
・できる限り史実に基づいて書いたつもりですが、あくまで「つもり」です。ツッコミは堪忍してください。ウソ垂れ流し状態です。でもたまに真実があったりするから面倒です。
・貧乏小唄、船頭小唄以外は「ソウルフラワー・モノノケ・サミット」の「アジール・チンドン」で聞けます(復興節は阪神大震災用にアレンジ、東京節もかなりアレンジされてますが)。
 ヴァイオリンのみの演歌は…すみません、大道芸の方々の集まるところを探してください。余談ですが、ヴァイオリンを弾きながら歌うというちょい難しいことをする為、演歌師たちはそれ用に弦の押さえ方を変えてます。マドカちゃんがこの方法で弾いたら、苦労することでしょう。
・一言だけ言うなら…「蛮ちゃんに「新酒場小唄」を歌わせたかった(笑)」

(ここの部分は持ち帰らなくても別にいいです)