銀次の使用方法 1



 午前11時、HONKY TONKにて。
「あ、ラジオが。」
 夏実がひょっとそこを見た。基本的に様々な違法電波がとびかっている裏新宿は、放送局が近いにも関わらずテレビはおろか、ラジオの受信状態も非常に悪い。一番良い場所にアンテナを設置しておいたのだが、どうやら本体のほうがイカれたらしい。
「んあ?」
 半分寝ていた銀次がその声で起き上がる。なになに?と周囲を見渡す。
「銀次さん…はラジオの修理…は無理、ですよね。」
「ラジオ?修理?」
 きょとん、として夏実に問いかける。はい、と夏実は頷く。蛮がいたならできなくはないかもしれないが、生憎彼は「右手がオトモダチ」のチンチンジャラジャラの場所へと行ってしまったらしい。
「オレ修理はできないよ。」
 バカだもん。と付け加える。だが、波児はその言葉を聞き逃さなかった。
「修理『は』できないで、何ができるんだ?銀次。」
 ややあって、銀次が口を開く。
「んー、…波児。銅線持ってる?あとハサミ。」
「ああ、ちょっと待ってろ…。」
「あまり不純物が多いと困るけど…。」
 ほい、と手渡された巻かれた銅線とハサミを「ありがと。」と銀次は言いながら受け取る。
「あと、スピーカー、ある?」
「おいおい。」
 その言葉にさすがの波児もうろたえる。何をしようとしているのだ?それでもとりあえず、「小型の、ウーハーなしのだったらあるぞ。」と答えてしまう。好奇心のほうが勝った。
「ん、なら出来るよ。」
 銀次は立ち上がる。
「え、修理ですか?」
 夏実がこらまた驚いた、という顔で銀次を見る。
「ううん。修理は出来ないよ。」
 あはは。と笑いながら銀次は答える。
「ラジオの電波をとらえて、スピーカーに流すことはできるから。」

 は?

 カウンターにいた二人は固まった。
「それって…人間ラジオ?」
「…って言うのかな?無限城はもっとひどかったから、こっちはすごく簡単だよ。」
 にっこりと末恐ろしいことを言う銀次。
「と…とにかくやってもらおうか。」
 波児が言った。
「うん!あ、しゅーはすーはどこがいい?」
「うーん、やっぱしこの時間は「テレフォン人生相談」が聞きたいんで、ニッポン放送お願いします。えーっと…しゅーはすー?は…」
「…1242だ。…それだけで分かるのか?」
「うん。えーっと。」
 きょろきょろとあたりを見回す。ややあって、うん、と頷くと、慣れた手つきで銅線を引き出し、そこに左手を置く。右手はスピーカーのケーブルを持つ。
「あ、音あわせしなきゃ。」
 久しぶりだったから忘れてたや。と、上着のポケットから、小さく黒いものを取り出す。
「音あわせって何ですか?銀次さん。」
「ん?えーっと、オレがそう言っているだけだから。他に言葉があるのかもしんないけど、簡単なほうのラジオは両腕だけでできるんだけど、その時はあまり電気を通しちゃいけないんだけど、そのぶん、変な山も取り除かないとダメなんだ。」
 何か良く分からない言葉の羅列の上に変な山?カウンターの二人は顔を見合わせる。ややあって、波児が頭を抱えながら言う。
「銀次、それは一般的に「抵抗」と呼ばれているやつだ。なに、全部できるのか?」
「うん!他の周波数も完全にシャットアウトもできるよ!」
 黒く小さいものを左右の人差し指と親指でつまんで、右手の小指でスピーカーの電源をひっかける。
「…あ、聞きたくなければそのままやるけど…電流の音を聞くだけだから。」

 は?

「電流にも音があるんですか?」
 夏実が驚いてたずねる。
「う、うん。あるよ。」
 その剣幕に驚いて答える銀次。え、知らなかった?と波児を見ると真横に首を振られる。
「んじゃあ、まず、電流を流したり切ったりするから。」
 にこにこと笑いながら銀次は言う。
「よっ」

 途端、スピーカーから様々な音が流れ出す。それが少しずつ減っていき、最後には不思議な音が5秒ぐらいずつ、切れては流れ、流れては消えたりする。
「これが、電気が流れる音だよ。」
 ホワイトノイズよりも静かな、遠くで波の音を聞くような、そんな音。
「不思議な音ですねー。…なんか綺麗。」
 うっとりと夏実がスピーカーから流れる音に耳をすます。
「そうだね。最初、オレもそう思った。んじゃあ、次はちょっと難しいのやってみるね。」
「何をするんですか?」
「ん?電流をもっと微弱にして、ツブをあてて壊すんだ。」
「ツブ?」
「うん。とっても小さいの。えーっとマクベスがなんていってたっけ。「そりゃー」…違うな。「おりゃー」じゃなくて…」
「分かった、多分素粒子だ。」
 波児が手を出す。パァッと顔が輝き「それかもしんない!」と答えた。波児の冷や汗など知らずに。
「じゃ、いくよー。」
「はーい。」
 それがどんなとんでもないことか分かっていない二人は、さっさとコトを進める。
 サーという音がさらに細かいシャーという音になった後、繊細なガラスを割るようなカシャーン、カシャーンという音が響く。
「綺麗……。」
 うっとりと夏実が聞きほれる。暫くやった後、ほぉっと息をついて銀次はやめた。
「んじゃ、音あわせが終わったから、ラジオだね。」
「はい。お願いします。」
 黒く小さいものをポケットにしまい、銀次は銅線とスピーカーの電源部分に肘を置き、座った。
「いい?」
「いつでもいいですよー。」
 瞬間、ザザッとノイズが入り、
『はい、今日のアドバイザーはマドモワゼル愛先生です…』
 あまりにもクリアーな音に驚く波児。銀次は…と見ると、温くなったコーヒーを飲んでいる。そのあまりのけろりとした表情に波児は尋ねる。
「おい、銀次。」
「ん?あ、これくらい朝飯前。というか…簡単だよ。」
 ニコッと笑う銀次に波児はどう答えていいのか悩む。
「銀次さんが無限城で一番難しかったラジオはなんですか?」
 夏実が尋ねる。どうやら人生相談は終わったようだ。
「うーん…結構試してみたけど…近場では警察無線とか。」
 はぁ?と波児があんぐりと口をあける。警察はデジタルの上に乱数じゃなかったか?
「AMとかは捕まえやすんだけどFMとかは難しかったな。…84.7のしゅーはすーが捕まえられたから捕まえたら驚かれた。あと…85.1も二、三度捕まえて笑師が泣くほど喜んでたな…。」
 あのバケモノじみた電磁波の中で、銀次は…
「ちょっと待った銀次。84.7はFMヨコハマだからまだ楽だろうけど…。」
 パカッとパソコンを開け、チャカチャカとキーボードを打つ。ややあって深い深いため息をついた。
「FM大阪じゃねーか…。」
「うん。すごく弱かったから大変だった。」
 けろりと答える。本当はそれですむ問題ではない。
「すごいですねー。銀次さん。」
 多分コトの大きさが良く分かっていないけど、とりあえずすごいことが分かっている夏実がすごーいすごーい。と連呼している。
 波児は、ふと、銀次の相棒が良く使っている言葉を思い出し、確かに、と頷いた。静かに。深く。
「じゃあ、蛮さんが帰ってくるまで?」
「うん。いいよ。」
「じゃあ、私がサンドイッチとコーヒーをご馳走します。…マスター、いいですよね。」
「あ…ああ、いいよ。」
 わーいわーいわーいと両手を挙げて喜んでいる銀次にニコニコと笑いながら夏実は用意を始める。

 電流の音なんていうのは、研究所で特殊なマイクみたいなもので集音しないとできないとか。
 さらにミクロとかナノの世界の音を拾うとか。
 東京なのに(しかも無限城なのに)電波の弱いFMの、しかも大阪の電波を拾うとか。

 もしも自分が蛮だったら。いや、もう少し若かったら、絶対に大声で怒鳴っていただろう。

 このデタラメ野郎…と。

 そのデタラメ野郎は今、大好きなタマゴサンドを口いっぱい頬張って、ハムスターのようになっている。

 ああ、これもとりあえず、HONKY TONKの日常。



はい。はじまりました。きなこのGB最初のSSです。
銀ちゃんの出した「電流の音」というのは本当は「回路の中を通る電流の音」です。
実際に聞いたことがあるのですが、すごく綺麗です。
でも、銀ちゃんは全く理解していません。
「黒い小さいもの」はブラックボックスですね。本当に(マクベス特製)。